「校長コラム」を掲載します。(毎月1回を予定)
鉾田一高・附属中の様々な取り組みや校長の思いを綴ります。
【校長コラム 令和7年 第8号】
成長の巳年
新年明けましておめでとうございます。令和7年の始めにあたり、今回は1月7日の始講式で、生徒の皆さんにお話しした内容を掲載いたします。(一部改編)
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新年1月2日の箱根駅伝で、昨年6区を走った卒業生の富永椋太君(日体大・四年生)が、強豪ひしめく3区で4人抜きの快走を見せ、有終の美を飾りました。鉾一在学中から黙々と努力を重ねた富永君は、高校卒業後、さらに磨きをかけ、日本中が注目する箱根駅伝で快挙を成し遂げ、鉾一の皆にとっても喜びと誇りに満ちた新年のスタートとなりました。
今日、学校で元気な皆に出会えたこと、皆もまたここで友達、先生に再会し、授業、部活動、おしゃべりができるということがとても幸せなことだとつくづく思う年の初めです。
世界中のどこにいても、必ず一日が始まり、新しい年を迎えますが、皆が温かく幸せなお正月を迎えているわけではありません。学びたいのに学校も教科書もなく、常に爆撃に怯えながら暮らす人もいれば、女の子という理由で、隠れながら勉強している人もいます。
幸せになりたい、幸せな国にしたい、と願う気持ちは誰にでもあります。学ぶことが、自分の人生や社会を変える切り札であることを、貧しい国の人たちほどわかっています。勉強することは、チャンスを手に入れることです。
さて、世界の中では恵まれた日本の、そして、鉾一の皆さんは、生きているだけでもある程度は幸せだと思いますが、本当の幸せは、自分で掴み取っていくしかありません。授業でも部活動でも、受け身でいるだけでは、決して身につかないし面白くありません。与えられすぎると、自分からつかみ取る力、考える力が弱くなってしまうことも事実です。
「Carpe Diem (カルペ ディエム)」という言葉があります。「今を生きる」のラテン語です。英語では「Seize the day」。その日をつかめ、一日をしっかり生きよ、という意味ですが、人間は、ラテン語が使われた紀元前の昔から、「今を生きること」の大切さを忘れてしまいがちだったのでしょうね。
思い通りにいかないのが社会であり人生です。だからといって不平を言って立ち止まっていても何も得ることはありません。今のこの時間(自分の命)を精一杯生きることで、成長があり、脱皮も飛躍もできるのだと思います。
今年の干支は乙巳(きのと・み)。乙(きのと)は新たな芽吹きや成長の始まりの意味、巳(み)は脱皮を繰り返し変化や成長を遂げる「へび」の意味になります。巳年にあやかりたいところですが、頑張るのは「へび」ではなく、「自分」です。しなやかに強く成長する1年にしていきましょう。
1月 学校長 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第7号】
GSNP(学校の先生になろうプロジェクト)
構内の黄金色の銀杏並木があっという間に箒になり、天に向かって聳えています。
さて、年の瀬を迎えるにあたり、後期のトピックスを紹介させていただきます。
10月11月は生徒も先生も怒濤の忙しさでした。後期の生徒会役員改選、学校公開、職業講話、鉾一ハロウィーン、高校の修学旅行(沖縄)、中学の修学旅行(関西)、総合的な学習の時間におけるDXハイスクール事業の本格スタート、さらに、大学の総合型入試の準備や、各部活動での新人大会、コンクール、県総文祭、発表会など、行事も学習も目白押しでした。
中でも、本校の教員養成プログラムであるGSNP(学校の先生になろうプロジェクト)のメンバーが、東京学芸大学で開催された「東京エデュケーション・ショー」(10月13日)に参加し、様々な世代の方々と教育に関するディスカッションや意見交換を行ってきたことは特筆すべきことと思いますので、ここで紹介させていただきます。
「東京エデュケーション・ショー」とは「教育は楽しい!かっこいい!」を合言葉に、新しい教育の魅力を追求し、全国の教員、大学の先生、学生たちが教育の未来について共に考え、行動を起こすためのきっかけを提供しようという目的で開催された教育研究フェスです。本校の生徒たちは、教員の課題解決に向けて、いかに学校の先生を輝かせられるかについて探究してきた成果をプレゼンしてきました。
レポート記事は、下記URLで公開されていますので、ご覧いただければ幸いです。
https://kknavi.jp/feature/11427/
GSNPの生徒は、教員を志し、あるいは教育に関する職業を目指しているメンバーなので、日頃から教育課題によく目を向けており、先生方にとっては、良き理解者がそばにいるようで、とても心強く感じます。
今年度は茨城大学教育学部との連携がスタートし、教育に関する大学での専門的な学びや学生との交流も継続的に行っていきます。地元鉾田南小学校の児童たちへの授業補助や本校附属中学校の生徒への給食指導補助に参加するなど、実体験も重ねながら、教育を知り、考え、地域の教育に貢献できる教育者となることを目指して頑張っているところです。
未来を託せる頼もしい鉾一生にご期待いただき、今後ともあたたかなご支援をお願いいたします。
12月 学校長 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第6号】
繋ぐ
9月6日、本校で初めて、茨城大学の太田寛行学長をお招きして進路講演会を開いた。
中学生・高校生が、高等教育機関としての大学での学びがどのようなものであるかを知り、社会で必要とされる学びについて考える企画である。真理の探究を価値基盤とする大学が、専門分野の研究のみならず、現在は、より良い社会の創出のために、自治体や企業、様々な分野を繋ぎ、協働的・実践的なネットワークとなっていることを改めて知る機会となった。今回の講演で、未知の分野に挑戦することや文系理系を問わずに学べるプログラム、教育分野の取り組みなどに、生徒たちが大いに興味関心を持つことができたことは収穫である。
さて、創立100年を超える本校は、茨城大学への進学者をはじめとする優秀な卒業生を輩出し、多くの人が教員となって地域の教育を支えてきた。そのバトンを繋ぐため、独自の教員養成企画「学校の先生になろうプロジェクト」略してGSNPが始まって7年目になる。その間、文科省の教育改革、GIGAスクール構想、働き方改革、部活動改革など、改革の嵐の中、やっと教員の処遇改善に向けての動きが高まってきたこと自体はありがたい。
ただ、本校の先生たちを見ていると、本当に生徒たちが好きで、この仕事が好きで頑張っていることがわかるので、改革の名の下、創造的で自由度の高い教育という仕事に、様々な制限を加えてしまうことを憂慮している。
10月13日、GSNPのメンバー(高1・高2)が、東京学芸大学の東京エデュケーション・ショーで学校の先生についての探究発表を行った。彼らはこの数ヶ月間、何度もディスカッションを重ね、今の先生たちや未来の自分たちへのよりよい提案を考え、プレゼンする準備をしていた。ある班のタイトル「GSKP」に目がとまり、生徒に意味を尋ねると「学校の先生を輝かせるプロジェクトです。」という。学校の先生たちの大変さを理解し、そのような状況下でも、自分たちに労を惜しまず向かい合ってくれていることへの感謝(同情?)も込めて、先生たちが疲れてしまわず輝く提案を考えてくれていると知り、温かい気持ちになった。
「繋ぐ」と言う言葉が頭に浮かぶ。2021年に文科省がはじめたSNS『教師のバトン』は仲間を繋ごうとして炎上してしまったが、鉾一のGSNPは今、生徒たちと先生たち、そして、大学の先生たちを繋いで、新しい一歩を踏み出している。
10月 学校長 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第5号】
学びと体験を力に変える秋
朝晩の空気に秋を感じる9月がスタートした。高校3年生にとっては、これまでの努力とエネルギーを自分の進路決定に向けて集中する季節の到来だ。忙しい毎日を送る生徒は時間の使い方が実に上手い。目指す進路に向けて、これまで培った気力・思考力・体力が、自身の学力伸長に大いに役立つことを期待する。
この夏を振り返ると、45年ぶりのインターハイ出場を果たした女子ソフトテニス部は、猛暑の長崎で、最後までよく戦い抜いた。部員、教員、保護者全員が一つになって一球一球に声援を送り、ともに闘った姿も忘れない。そこには、勝つための努力と辛抱強さ、諦めない強さがあった。
競技かるた部は、岐阜で行われた全国総文祭で、並み居る強豪校を相手に闘い、堂々の5位入賞を果たした。ベスト8入りは初の快挙である。全国かるた選手権出場も併せて、毎年上位であり続ける努力と苦労は並大抵ではない。
県主催のグローバル人材育成プログラム「The World Scholor’s Cup2024」世界大会に出場した附属中出身で高校2年の山口さんは、仲間と協力し戦略を立てて、ケニアのチームにディベートで勝利したことや、国籍を超えてたくさ
んの人たちと交流したことなど充実した体験を語ってくれた。
「文武不岐」の校風の中で、生徒たちは文武の知識を得、体験し、仲間と切磋琢磨しながら技術的にも人間的にも成長していることを実感した夏だった。
新たな経験やチャレンジによって、世界の見え方は変わる。
9月からも、鉾一生が日々の努力とチャレンジ精神をもって、大きく成長できるよう我々スタッフも大いにサポートしていこう。
台風の進路も世界の情勢も不確実なことばかりだが、鉾一で学んだ生徒たちがさらに成長し、地域や未来に貢献しうることは確実である。
9月1日 学校長 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第4号】
ライバル
ライバル・・・好敵手とも言われるが、ライバルをつくって競争に打ち勝つことをモチベーションにする人も多いだろう。スポーツなどでは競い合うことでタイムが伸びるなど良い作用をもたらすことが期待できる。しかし、日常生活や学習において、過度なライバル視は危険が潜む。ライバルをつくると、苦しいとき、相手のマイナス部分ばかりを拾って自分を安心させようという心理が働くからだ。相手の欠点を見つければ、優越感を味わい安心できるだろう。しかし、それは一時的なことである。人の欠点ばかりに注目する人は、自分の成長を止めてしまっている。また、マイナス思考は、自分も人も幸せにしない。どんなときでもポジティブ思考で、相手のよいところを見つけ、自分もまねれば(学べば)成長し、幸せな気持ちになるだろう。
自分自身の高校時代を振り返ってみると、周囲の大人は、競争心をあおることで成績の低迷した私を奮起させようとしていたが、逆効果になっていたことを思い出す。
学力を上げるのに、あの子より上位にいきたい、と勝つことをモチベーションにしてライバルをつくるのが好きな人と、そうでない人がいる。もちろん、最終的にはあの子に勝つことが目的ではない。
君の生きる目的は何か。何のために生きるのか。限りある時間を、自分の成長のために使っているか、と自分にたずねてみてほしい。
8月1日 学校長 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第3号】
エール
6月22日、今年の山王祭が幕を閉じた。コロナ禍を越えて、一般公開2年目の令和6年度、生徒会・文化祭実行委員会は、生徒・先生方と何度も協議しながらルールをつくり、昨年度の反省を踏まえた企画を練り上げた。当日は、全校生徒・教職員が一体となり、さらに地元企業や保護者の方々のご協力のもと、大盛況の山王祭となった。延べ来場者数は2, 000人にのぼる。
山王祭はなんと言っても、文化部のクオリティの高さが光る。日頃の地道な鍛錬の賜であろう。中学の探究発表も含め、いずれも見応え、聞き応えのある充実ぶりだ。また、各クラスや有志による出し物の創意工夫もすごい。様々な情報が入手できる時代、相手を楽しませ、満足させる企画立案はなかなか難しく、一人ではできない。正解もなく、意見をまとめるのも大変だ。だからこそ、チームで協力することの意義を体感し、成長を遂げた鉾一のみんなを誇らしく思う。
現在、日本の特別活動(TOKKATSU)が世界で注目されている。私たちが当たり前のように取り組んできた活動が、社会的能力を育むために大変有効だというのだ。鉾一の生徒の取り組んできたことは、VUCA(不安定、不確実、複雑、不明確)と呼ばれる現代を生き抜く力に繋がっていると確信している。山王祭も部活動も、そしてこれから立ち向かう受験勉強も、最後までやりきることから得られることは計り知れないだろう。今をがむしゃらに生きることから道は開かれる。
「文武不岐」の校風の中、日々頑張っている鉾一生に心からのエールを送る。
7月1日 学校長 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第2号】
鉾一生の努力と品格
先月の県東地区中学校の陸上競技会では、2位の100メートル女子をはじめ6名の附属中の生徒が見事県大会への出場権を獲得しました。高校関東陸上県予選でも、9名の選手が関東大会出場決定、これで29年連続関東大会出場という歴史を刻みました。さらに、女子ソフトテニス部も関東大会出場、競技かるた部、美術部も全国総文祭への出場が決まりました。
県の主催するグローバル人材育成プログラムにおいて4月の「ワールド・スカラーズ・カップ」東京大会を勝ち抜き、夏の世界大会(韓国)への出場権を得た高校生もいます。(決勝戦は、アメリカのイェール大学で行われます)
華々しい入賞とまではいかなくとも、何事にも努力を惜しまない生徒が多いのは本校生の誇るべき特質です。
ひとつのことを、真面目にこつこつと続け、磨き上げて行くには、様々な制約や我慢が必要です。短い休み時間内での移動、60分の集中授業、放課後まっしぐらに部活動に向かう姿、相手のことを考え、心配かけまいと快活に振る舞う本校生の姿は、さながら求道者のようです。
もう少し、ゆるく考えたり行動したりでもいいのでは?という考えもありますが、この制約や苦しさは、成長する上で欠かせないものでもあります。
現代は、「自由」や「権利」の名のもとに、あまりにも身勝手な振る舞いのニュースが絶えませんが、相手の身になって痛みを感じ、誠実さと努力を忘れない本校生の姿こそ、希望の光であると考えています。
数学者の藤原正彦氏は、「自由という言葉は不要であり、人間には生まれ落ちたときからそもそも自由などはなく、法律以外にも道徳や倫理、組織の規則、協調など、あらゆるものに規制がある。権力を批判する自由さえあれば、自由は規制されていい」と『国家の品格』の中で語っています。
あえて極端な言い方をしていますが、言論の自由の名の下、SNSでの誹謗中傷や相手を傷つける言動は、藤原氏に言わせれば「卑怯者」です。
最近、『国家の品格』を読み直し、グローバル社会に対応するための新たな教育に取り組む中、変わらないもの、変わってはいけない人としてのあり方を、改めて考えています。昨今の日本人の品格の廃れた状況を憂えるばかりではなく、自身の襟を正し、世界に通用する「品格ある鉾一生」を育むことに傾注してまいりたいと思います。
6月1日 飯山美都子
【校長コラム 令和6年度 第1号】
文武不岐
鉾田一高の校風として、よく文武不岐が語られます。この4月、高校・中学の新入生の皆さんには、文武不岐は二つのことをやるということではなく、学ぶこと(文)と実践すること(武)は一つのことである、というお話をしました。
令和6年度のスタートにあたり、この文武不岐の意味を一緒に考え、より良き学生生活を送っていく一助になればと思います。
本校の文武不岐の校風は、昭和の時代、野球部の甲子園出場をはじめ、多くの部活動が関東・全国大会の常連だったことや、一高としての高い進学実績から、自然と醸成されていったものと思われます。
さて、そもそも文とは何かというと、学問や文芸(文学や芸術)のことを指します。武は体を使う武道から現在のスポーツをイメージするようになりました。
文武二道、文武両道という「勉強でも運動でも優れた人」という賛辞とは異なるのが、この文武不岐です。
古くは中国の思想家孔子が外交上、文武を兼ね備えることの重要性を定公に説いたことから広まった考え方です。
水戸藩第9代藩主徳川斉昭の創設した弘道館では、欧米の脅威が迫る、先の見通せない時代の中、これからの日本を支える若者の人材育成のために教育思想としたのが文武不岐でした。文事だけでは軟弱となり、武事だけ秀でていても粗暴になるため「文武は、車の両輪、鳥の両翼のごとし。」(中江藤樹)という言葉の通り、文武は人として備えるべき一つのことで、片方だけでは成り立たないという教えのもと、若者たちは文武の修行に励みました。
10代の君たちは、心と体(どちらも脳が司っています)がすごいスピードで成長しています。
文と武は、今、君たちが鍛錬すべき一つのものです。学問や芸術により、広く深く世界を知り、部活動で心身を鍛え、実践力をつけることは、この先何十年生きる自分への投資(ギフト)となるでしょう。そのことを、常に頭のどこかで意識しながら毎日を過ごしていきましょう。
人生は、自分の思い描いた通りになります。
飯山美都子